BUNDLE-GALLERYは2022年12月7日(水)~18日(日)まで、井上有一の書、ジョゼ・ザニーネ・カルダスの家具、セルジュ・ムイユの照明を展示する企画展「時代を超越する表現者の意志 – Yu-ichi-Inoue, José Zanine Caldas, Serge Mouille – 」を開催した。異なる国や分野で活動した三者ではあるが、時代や意識の変化に合わせて表現を更新し、挑戦を続けたという点に共通性がある。本展は、彼らが年代とともに変化した感性をどのように発露したかに焦点をあて、ヴィンテージ品や貴重なミュージアムピースとともに三者の創作を複層的に紹介した。同時代を生きた彼らが、国は違えども、どこかですれ違ったのではないかとの夢想を起点としている。当ギャラリーは、ル・コルビュジエに学んだ最後の日本人建築家である進来廉の設計による個人邸を再生した空間にある。進来もやはり同時代を生きた表現者のひとり。この空間と呼応するような三者の作品と展示風景の記録を本冊子にて紹介する。
井上有一
尓時佛前
1963年
©unac tokyo
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
H Armchairs for Móveis Artísticos Z
1950年代
Low Table for Casa de Nova Vicosa
1970年代(中央)
セルジュ・ムイユ
Totem
1962年
井上有一
くビガもげました(右)
1981年
©UNAC TOKYO
宮沢賢治童話なめとこ山の熊 (左)
1985年
©UNAC TOKYO
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
Dining Table for Museu a Casa
1970年代
Chaise longue for Mòveis Artísticos Z
1950年代
セルジュ・ムイユ
Signal(左奥)
1962年
井上有一
古今和歌集オオゾラハ
1976年
©UNAC TOKYO
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
Denuncia Stool (左)
1970年代
Sculpted Solid Wood Chair (右)
1970年代
セルジュ・ムイユ
セルジュ・ムイユ
Small Escargot Ceiling Lamp (左上)
1955年
井上有一
花ずおう
1974年
©UNAC TOKYO
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
Denuncia Stool
1970年代
井上有一
Yu-ichi Inoue
1916-1985
1916年に東京で生まれた井上有一は、現代書家であると同時に教師であった人物だ。東京府青山師範学校(現・東京学芸大学)で学び、1935年から1976年までの41年間にわたって教職に就いた。「書は万人の芸術である。日常使用している文字によって、誰でも芸術家たり得るに於て、書は芸術の中でも特に勝れたものである。」(書の解放.-『墨美』9号.-1952年)との言葉を遺した井上は、職業芸術家としての道を拒んだ。そうすることで生涯を賭して書の新たな可能性を追い続けたのだろう。
本展は1957年のサンパウロを起点に、井上、ジョゼ・ザニーネ・カルダス、セルジュ・ムイユの3名を繋ぐ。井上は同年に開催されたサンパウロ・ビエンナーレへ参加を求められ、『愚徹』をはじめとした書を出展した。その作品がイギリス人美術評論家のハーバート・リードに注目され、翌年に刊行されたリードの著作『近代絵画史』に井上の作品が掲載される。1940年代後半にアメリカ・ニューヨークで始まった抽象表現主義などの新たなアートの動向に触れるなか、リードは、ジャクソン・ポロック、フランツ・クライン、ピエール・スーラージュらとともに井上を取り上げた。中国に起源をもつ東洋の造形芸術であった書が、抽象芸術の文脈で語られた瞬間といえるだろう。同時期にサンパウロで暮らしたザニーネも井上の書を見たのではないかという想像が、本展のきっかけとなった。
1959年、井上はドイツ人キュレーターのカスパー・ケーニヒの推薦で「ドクメンタ2」に出品。さらに1971年には、初作品集『花の書帖』の刊行とともに初個展を開催する。本展は海外での知名度を高めていった1950年代から晩年の1980年代にわたり、井上の多面的な作品を紹介したいと考えた。生涯を通じて制作に貪欲であった井上は、次々と新たな技法に挑んだことで知られる。凍らせたり、ボンドを混ぜたりと、墨そのものへの探求はもちろん、表現と技法への飽くなき挑戦が井上の魅力と言える。
墨をたっぷり含ませた大筆で、身の丈より大きな和紙に等身大の文字を書いた井上。そこに記された墨の塊のような文字は、その意味をわからずとも目をそらすことのできない気魄が宿る。絵画的、彫刻的ともいえる、生命力みなぎる表現は伝統的な書法と一線を画すものだ。
冒頭で引用した井上の言葉には続きがある。「書程、生活の中に生かされ得る極めて簡素な、端的な、しかも深い芸術は、世界に類があるまい。」 ――文字を記すという人類の根源的な行為をアートへ昇華させた希有な存在が井上なのだ。
井上有一
かわずなく
1973年(左)
©UNAC TOKYO
花下艸上
1965年(右)
©UNAC TOKYO
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
Solid Wood Armchair for Móveis Artísticos Z
1950年代
セルジュ・ムイユ
One Arm Floor Lamp
1953年
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
José Zanine Caldas
1919-2001
1919年、ジョゼ・ザニーネ・カルダスはブラジル北東部バイーア州の南海岸に生まれた。20歳で建築模型の工房を設立し、ブラジルを代表する建築家のオスカー・ニーマイヤーやルシオ・コスタらと仕事を行った。そののち独学で、アーティスト、デザイナー、建築家を目指す。
1949年にサンパウロへ移住したザニーネは2人のパートナーと家具工房〈Móveis-Artísticos Z〉を設立する。アメリカのチャールズ&レイ・イームズが発表したプライウッドの家具が世界的に注目されるなか、彼らもブラジルではいち早くプライウッド製家具〈Z-Artístic-Furniture〉を製作した。都市に暮らす人々に向けたモダンで実用的なデザイン、かつ適正な価格帯の家具であったが、当時の人々には受け入れられず失敗に終わる。やがてザニーネはサンパウロ大学建築都市学部での模型講師の職を経て、ブラジリア大学に移る。しかし1964年に起こった軍事クーデターで職を失ってしまう。
故郷に戻ったザニーネは大西洋岸の森林破壊という問題を知る。森林保護に関心を寄せた彼の意識は、有機的なデザインへ結びついていくことになる。1970年代、ザニーネは焼けた森から再生した木材で〈Móveis-Denuncia(告発の家具)〉の製作を始める。素材に使われるのは、ペキ、アカジュー・サペリ、ビンハチコの原木。特に果肉が中西部の郷土料理やリキュールなどに使われるペキはブラジルの食文化を支える樹種だ。巨大な丸太を直接削り出した有機的かつ彫刻的な家具は、伐採した木からカヌーや手漕ぎボートを彫る地元の職人に影響を受けた。その素朴なアプローチは、かつて彼がデザインした家具とまったく異なるスタイルに発展する。その思想はいくつかの建築をも実現している。
自然に寄り添うように原初的でありながら、環境に配慮した実験的な家具。森との関わりについて著作も残したザニーネは、すでに伐採された木を積極的に使い、伐採した場合には同数の植樹に努めた。ザニーネの生誕から100年を迎えた2019年、遺族により〈Móveis-Artísticos-Z〉で製作された家具が復刻される。しかしそのアプローチは〈Móveis-Denuncia〉に則り、手工芸、持続可能性を追求している。モダニズムを経て、いち早く環境問題に目を向けたザニーネの家具は、木という素材の高い理解が生み出すもの。図らずも時代がザニーネの思想に追いついた。プリミティブでありながらモダンという二律背反の価値を両立させた唯一無二の家具は、いまこそ強いメッセージを放つ。
井上有一
乃
1969年
©UNAC TOKYO
ジョゼ・ザニーネ・カルダス
Denuncia Stool
1970年代
セルジュ・ムイユ
Three Arm Rotating Wall Sconce
1954年
セルジュ・ムイユ
Serge Mouille
1922-1988
ルジュ・ムイユは1922年、フランス・パリに生まれた。植物園で何時間もかけてスケッチを描く少年は、わずか13歳で当時の最年少生徒として国立高等装飾美術学校に入学。彫刻家のガブリエル・ルネ・ラクロアに金属加工と銀細工を学び、卒業後はラクロアのスタジオに入所する。1945年に国立高等装飾美術学校で教職に就いたムイユは、自らのスタジオを開設する。
1953年、それまで手すりやシャンデリア、壁掛け用の燭台などを手がけていたムイユに照明器具の制作依頼が入る。依頼主はフランスのアールデコを代表するデザイナーのジャック・アドネだ。1本のアームと3本のアームからなる2種のスタンディングランプをきっかけに、ムイユは職人からデザイナーへと転身。代表作となる〈Formes-Noires〉シリーズが生まれる。
大きく角ばった昆虫を思わせる形、女性の身体にインスピレーションを得た彫刻的なフォルム、さらに空間に動きを生む機能的な可動性はいまもオリジナリティを備える。1956年にはパリのサンジェルマン大通りにあったギャラリー《ギャラリー-ステフ・シモン》が、ジャン・プルーヴェ、シャルロット・ペリアン、イサム・ノグチの家具とともにムイユの照明器具を展開。この時期、ムイユのキャリアは最高潮を迎えたといえる。プルーヴェやペリアンも関わったアントニー大学など、施設の照明も手掛けた。
1962年、ムイユはこれまでのデザインとまったく異なる「光の柱」を発表する。フランスの家庭ではほとんど普及していない蛍光灯に着目したフロアランプシリーズ〈Les-Colonnes〉だ。丸や四角、直角といった幾何学的なモチーフを多用した照明は機能性よりも芸術性が強く、一般には受け入れられなかった。現在では再評価も進むが、デザイナーとしてのムイユの終着点となった。1954年から国立高等装飾美術学校の金属工房の責任者となっていたムイユは、1963年に自身の病気や指導に集中するため、照明器具の製作に区切りをつける。残りの生涯は金属の教育と研究に捧げた。カルダスとは逆に、ムイユは有機的なフォルムからモダニズムへと移行していく。両者の対比を同一の空間で見せることもまた、本展におけるテーマの一つであった。
工業生産に移行することを望まなかったムイユの遺志を継承し、照明は現在も職人による手作業の製造が続く。機械と手仕事の両立によるフォルム、光源とシェードの関係性を考え抜いた光の広がり方は実に美しく、使い勝手もいい。その光は、あらゆるものを美しく照らし出すのだ。
Credits
BUNDLE ARTICLE No.002
Director: Masato Kawai
Photo: Sohei Oya
Editing and Text: Yoshinao Yamada
Design: Jacopo Drago
Cooperation:
EDITIONS SERGE MOUILLE JAPAN
INITIAL JAPAN
NAGISA MUSIC&ARTS
UNAC TOKYO
本冊子は「時代を超越する表現者の意志 – Yu-ichi Inoue, José Zanine Caldas, Serge Mouille – 」の公式記録として刊行されました。
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